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2012年12月30日

四国(二国)漫遊の旅(完結)

この日は帰宅ですがその前に豊川稲荷へ寄ってから帰ることに。








豊川稲荷(とよかわいなり)は、愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。 正式の寺号は妙厳寺(みょうごんじ)。詳しくは「円福山 豊川閣 妙厳寺」(えんぷくざん とよかわかく みょうごんじ)と称する寺院である。境内に祀られる鎮守の稲荷(吒枳尼天)が有名なため、一般には「豊川稲荷」の名で広く知られる。豊川稲荷は神社ではないものの、商売繁盛の神として知られており、境内の参道には鳥居が立っている。また、日本三大稲荷の1つとされる。


  


Posted by あちょぺふ at 21:09Comments(0)

2012年12月30日

四国(二国)漫遊の旅(4)

12月24日が明け、大阪を離れます。

昨夜はイブで町には人がいっぱいでした。

普段からかもしれませんが・・・


豊中から高速を乗り次は椿大社を目指します。

鈴鹿ICで下り10~15分程度で着きます。







伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央に位置する高山(入道ヶ嶽)短山(椿ヶ嶽)を天然の社として、太古の神代より祭祀されていた「猿田彦大神」の御神霊を、人皇第11代垂仁天皇の御代27年秋8月(西暦紀元前3年)に、「倭姫命」の御神託により、大神御陵の前方「御船磐座」付近に瓊々杵尊・栲幡千々姫命を相殿として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。
 このように社殿創始は垂仁天皇の御宇でありますが、それ以前、悠久の太古、原始人類に信仰の芽生えを見た時、既に大神の尊崇と本社創建の淵源は存したと言わねばなりません。 即ち神話に伝える「天照大神」「猿田彦大神」の時代であります。
 天孫「瓊々杵尊」降臨の際、猿田彦大神、天の八衢に「道別の神」として出迎え、風貌雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峰に御先導申し上げ、肇国の礎を成したこの大神を、後に倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓に「椿(道別)大神の社」として奉斎することになったのは、まことに神慮によるものと言うべきでしょう。


御祭神

主神

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)


相殿

瓊々杵尊(ににぎのみこと)
栲幡千々姫命 (たくはたちちひめのみこと)


配祀

天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)


前座

行満大明神(ぎょうまんだいみょうじん)





この日はさらに下道で名古屋方面を目指し名古屋を越え、三河安城に泊まります。

15時過ぎにはホテルにチェックインしたので熱田神宮へ行くことに。

熱田神宮へは電車の東海道本線で30分くらいでした。





熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社(※)に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。約6万坪の境内には、樹齢千年を越える大楠が緑陰を宿し、宝物館には信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め全国の崇敬者から寄せられた6千余点もの奉納品が収蔵展示されております。境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられております。

  


Posted by あちょぺふ at 14:09Comments(0)

2012年12月29日

四国(二国)漫遊の旅(3)

翌日はフェリーをまたスルーてまたまた海上タクシーにて戻りました。

次はやはちここまで来たからこんぴらさんに行きたいと。

神椿コースという楽ちんコースから本宮を目指しました。
(時間の都合でショートカットコース)






金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。


こんぴらさんから讃岐富士方向。




この日は泊まりが大阪。

あまり長くはいられずさらば四国。

大阪の北の方、十三に向けて出発。

クリスマス・イブだし中心地は避けました。


もちろん行きました。




そしてもちろんくいだおれ。




  


Posted by あちょぺふ at 17:20Comments(0)

2012年12月29日

四国(二国)漫遊の旅(2)

伊予西条に泊まった後は翌日、23日は石鎚山に行きました。

リンクを貼りました。

そちらへどうぞ。

石鎚山へ





石鎚神社は日本七霊山の一つ霊峰石鎚山を神体山(神しずまります山)とする御社にて、山頂に頂上社、中腹に成就社と土小屋遥拝殿、そしてJRや国道近くの本社と、四社をあわせて石鎚神社といいます

雪山登山を終えて次は香川県の粟島を目指します。

粟島へはフェリーで渡るつもりが時間が間に合わず海上タクシーで渡りました。






1泊、オフ会のような1晩を過ごしました。

  


Posted by あちょぺふ at 09:39Comments(0)

2012年12月28日

四国(二国)漫遊の旅(1)

初日は、しまなみ海道から入りまずは道後温泉です。

「千と千尋の神隠し」をみてから行きたかったんですが、あまりの遠さに諦めてました。が、ここでチャンスが訪れるとは思いませんでした。



道後温泉本館前で写真を撮った後、温泉にも入りました。




道後温泉(どうごおんせん)は四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉である。日本三古湯の一といわれる。

その存在は古代から知られる。古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、万葉集巻一に見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。伊予国(いよのくに)という名前も湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある。


道後温泉は、日本国内でもひときわ古い3000年もの歴史を持つといわれる温泉である(冠山から、約3000年前の縄文中期の土器・石鏃(せきぞく)が出土している)。神話の昔はもちろん、史実上の記録に登場する温泉として見ても、道後温泉は日本最古級の歴史を持つ。


六時屋さんのアイスモナカ100円。



つぼや菓子舗の坊ちゃん団子。




帰り際の伊佐爾波神社




伊佐爾波神社の創建について詳細は不明ですが、神功皇后・仲哀天皇御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれ、すでに延喜年間につくられた延喜式に載っている古社で1000年以上前から信仰を集めていたことが窺えます。一時期は湯月八幡宮とも、さらに道後八幡とも呼ばれました。
  この伊佐爾波神社も当初は道後公園山麓に御鎮座していたと推定され、建武年間(14紀前半)頃、河野氏が湯月城築城に際して今の地に遷し、道後七郡(野間、風速、和気、温泉、久米、伊予、浮穴)総守護と称えました。
  その後、加藤嘉明が松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所と定め久米郡井合の土地百石を神社の社領として寄進されました。
  現在の御社殿は江戸時代に入り江戸城で弓の競射を命じられた松山藩主松平定長公が八幡様に必中を祈願し、それが成就したお礼に建て替えられたもので、寛文4(1664)年6月に着手、大工697人、延べ人数69,017人を要し寛文7(1667)年5月15日に竣工し、しめやかなうちにも華やかに遷宮式が挙行されたと言われています。
  京都の石清水八幡宮を模したと言われ、大分の宇佐神宮と並び全国に三例しかない整った八幡造りの社殿で、昭和31年6月本殿が国の重要文化財に指定、昭和42年6月全体が追加指定を受けました。  


Posted by あちょぺふ at 21:55Comments(0)